昭和の時代からすれば、今はハラスメントにものすごく厳しくなった。
その流れそのものは非常に大切だと思う。
今までちゃんとされてこなかったものが、ちゃんとしてきたのだから。
だけど、ハラスメントに限らないけど、
問題に対して名付けるのが安易になりすぎているとも思う。
名前を付けることは非常に大切なことだ。問題を介在化し、見える化することで、
わかりやすくなったり、悩んでいる人の助けになったりする。
だけど、それが行き過ぎると、問題は本質を見失ってしまう。
ハラスメント・ハラスメントという言葉は、急激に増えたハラスメントという、
概念に対する防御反応みたいなものだろう。
お互いに攻撃するための武器として使っている。
そしてこの争いは、解決する場を与えられることなくお互いに消耗していく。
名前付けされることで、議論を落ち着いてできるようになるならいい。
今は、その過渡期かもしれない。
でもそうじゃなかったとしたら、
安易に人の作った言葉に惑わされないようにしてほしい。
話はもっとシンプルだ。
自分が真に伝えたいことは何なのか。それを見つめる時間を、ぜひ作って欲しい。
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